スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
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カーラ・チャクラ六座グルヨガ・コース参加報告2
2010年6月26日土曜日
昨日は、前置きの説明で終わってしまいました。今日は、グルヨガ・コースの説明を具体的にしましょう。今回のコースの講師は、チベット仏教の名門、ギュメ密教大学の僧院長のギュメ・ケンシュル・リンポチェです。ギュメ密教大学の僧院長をしながら、世界中でチベット仏教の普及に努めておられるとのことです。
ナムギャル寺院はとても小さな寺院です。広間と言っても、20人も入れば一杯になるような小さなスペースに祭壇と講師席が設けられています。そのこじんまりとした雰囲気の中、今回のコースに参加したのは、僕を入れて5名。本当にささやかな会でした。僕以外は、基本的にイサカの地元の人ですが、ピッツバーグから10時間ほどかかって車で来ていた人もいました。やっぱりアメリカはすごい!
コースは、まず、金曜日の夜のイントロダクションから始まります。ゲルク派はすべて同じですが、菩提心を絶やさないこと、戒律を守ること、仏法僧の三宝に帰依すること、人間に生まれて法に触れたことに感謝し修行を続けること、などが強調されます。もちろん、仏教徒にとってはすべてとても重要なことばかりです。僕は、日本にいたときに、いろいろなコースに参加しましたが、毎回、このイントロダクションで同じような話を聞くのは、正直、ちょっと辛いものがありました。でも、だんだん慣れてくると、説教くさいだけの話と思っていたものの中に意外にタントリックな真実が隠されていることに気づいたりして、面白いです。これも修行が進んだと言うことでしょうか。。。
金曜日のイントロダクションは、2時間ほどで終わり、土曜日から本格的にコースが始まりました。テキストの講釈をリンポチェがチベット語で説明し、それを通訳が訳していくというスタイル。カーラ・チャクラのテキストは、とても複雑で、多分、チベット語でも難しいと思います。これを、英語に訳すのは大変だと思います。僕の英語力では、ついて行けない難しい単語が頻出で少々疲れました。でも、途中で、基本になる英語のテキストをナムギャル寺院の人が用意してくれたので、何とか話について行くことが出来ました。
ここで、六座グルヨガとは何かという説明をしておきましょう。「六座」というのは、英語で言うと6 sessionsです。要するに、一日六回やることが義務づけられている修行ですね。ただ、日常生活を続けていて、一日、六回、瞑想修行をするのは大変ですから、朝夕各1回ずつ、まとめて3セッションずつやるというのが一般的です。3セッションと言っても、1回のセッションの中の一部分を3回繰り返すことで3セッション行ったと見なしてもらえます。だから、実質的には朝夕各1回で計2回、瞑想修行をすればよいわけです。それほど負担ではありません。
では、「グルヨガ」とはどういう意味でしょうか。「グル」は「師」です。グルヨガとは、直訳すると師のヨガとなります。チベット密教では、法の継承を重んじます。釈迦の教えから始まり、自分自身に至るまで、教えが師から弟子へと絶えることなく伝えられてきたからこそ、現在、このように自分は師から教えを受けることが出来る、ということの重要性を認識し、眼前の師の中に、釈迦、さらにブッダを見いだす・・・、これがチベット密教の基本的な考え方です。そして、この考え方を実践するために、実際の観想においても、まず眼前に師を観想し、その師のイメージを操作することで、そこから様々な仏や諸尊を生起させていくことになります。これがグルヨガの基本的なイメージです。
面白いのは、この仏から師を伝わって自分に脈々と流れてくる法の継承という考え方が、単に比喩的な意味のみならず、実際の観想でも使われ、また、体感的にもこれが重要であるということです。タントリックな修行をした人であれば、自身の中に光のような何かが入ってくることを経験したことがあると思います。それは、より高度な修行を修めた師からの伝授を受ければ受けるほど、より強いものになります。その意味で、法の継承とは、教えという抽象的なもののみならず、タントリックなパワーという、ある種の具体性を持ったものの継承でもあるわけです。同時に、それは、実際の修行の際の観想法の基礎ともなります。この点からだけでも、グルヨガがチベット仏教の体系の中でいかに重要な基礎をなしているかが理解できると思います。
もちろん、チベット仏教の実践の体系は、グルヨガだけではありません。本格的に修行するためには、例えば、3年間、どこか閑静な寺院に入って、カーラ・チャクラなりグヒヤ・サマージュなりの修行を本格的にやる必要があります。これをリトリートと称します。ただ、何も実践していない人が、いきなりリトリートをしても効果は限定されますので、その前行として、グルヨガを行う訳です。但し、グルヨガを始めるにも、灌頂を受ける必要があります。なぜなら、グルヨガの中にも、タントリックな要素があり、普通の人が何も灌頂を受けることなく実践してしまうと、危険な場合があるからです。何でもないように見えて、タントリックな修行は、精神の闇を思いがけない形で噴出させてしまうことがあります。やはり、グルヨガを行うにも、きちんと灌頂を受け、師について修行した方がよいでしょう。
と、グルヨガの話をしているうちに時間がなくなってしまいました。なんだか、前置きばかりで恐縮です。明日は、もう少し、六座グルヨガの実践について説明したいと思います。
ナムギャル寺院外観