スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
キキ・スミス「ソジャーン(滞在)」展は、女性の生涯を深い陰影を持って綴っていく
2010年6月14日月曜日
ブルックリン美術館で開催されているキキ・スミス「ソジャーン(滞在)」展を観に行く。期待していたよりも良い。
僕はあまりキキ・スミスのことは知らなかった。アメリカの美術館には、大体、現代美術のコーナーに、キキ・スミスの作品が一つか二つ展示されている(ついでに言うと、お父さんのデビッド・スミスの作品もたまには観ることが出来る。)。でも、こういうパーマネント・コレクションで展示されているキキ・スミスの作品は、彼女の初期の、「女の生理」をむきだしにした作品が多くて、結構僕は辟易してしまったものだ。裸体の女性が、経血を点々と残しながら四つんばいで歩いていく姿をリアルに描写した彫刻作品は、フェミニスト・アートの観点からは意味があるかもしれないけど、僕にはあまり興味が湧かない。だから、キキ・スミスのことにもあまり関心が起きなかった。
ただ、越後妻有大地の芸術祭で蔡國強がドラゴン美術館という野外展示を行ったときに、最初に取り上げたのがキキ・スミスの作品だったので、もしかしたら、その後、彼女は作風を変えたのかな、という漠然とした印象はあった。ドラゴン美術館の作品は、蔡國強の、昔の陶器の窯をそのまま利用した魅力的な空間とあいまって、とても幻想的な雰囲気を持っていたからである。そこに置かれた、年齢不詳の、少女のようでもあり老女のようでもある無表情な女性の彫刻作品は、越後妻有という土俗性の強い空間の力と反響するように、ある種の神話性を獲得していたような気がする。


だから、今回、ブルックリン美術館でキキ・スミスの個展をやるという話を聞いたときは、少々の期待はあった。でも、フェミニスト・アートの拠点であるブルックリン美術館の企画だから、また、キキ・スミスのあの初期のとがった「フェミニスト・アート」が作られるのではないか、という怖れもなくもなかったのである。
で、結論から言うと、今回の展覧会は、キキ・スミスの作品世界のさらなる成熟を感じさせて、良い企画展だった。今回の展覧会のテーマは、いわば「女の一生」である。キキ・スミス本人を思わせる女性キャラクターを中心に展開するシリーズものとも言うべき一連の作品は、この女性キャラクターが、女達の誕生から少女を経て大人の女になり、結婚し、子供を産み、老いた母親の最期を看取り、子供達の旅立ちを見つめ、自分よりも年の若い女達を励まし、やがて年を取って死んでいく姿を時系列的に描いていく。その眼差しは愛おしくなるまでに優しい。作品は、少しごわごわした感じの紙に、繊細な線でほぼ白黒で描かれていて、全体のトーンをどこか懐かしく、やさしい雰囲気に仕上げている。時に、キャラクターの彫刻作品も配置されていて展示にアクセントが添えられる。展示室はそれほど大きくない空間なんだけど、女性の誕生から死、そして再生に至るまでの長い時間を実感させる充実した内容だった。




それにしても、女性だけしか登場しない展覧会なのに、どうして違和感を感じないのだろう。もしも、これが男性だけしか登場しない作品でしめられていたら、ゲイかマッチョを感じさせるはずだ。女性にはやはりコミュニティを作り、維持し、そこで子供を育てる天与の才能があるのかもしれない。もちろん、僕は、こういう発言が、現代社会では問題発言であることは理解しているし、僕自身は、子育てとか家事にきちんと男性は参画すべきだと思っている。でも、ある種の女性たちがコミュニティ形成能力を天賦の才能のように持っているという事実までは否定すべきではないような気はする。
いつも思うんだけれど、こうした女性の共同体で、言わば自己完結的に出産、子育て、協働、介護が行われてしまうとき、男性の居場所はどこにあるのだろう。聖書では、イブはアダムの肋骨と泥から神が作ったとしている。でも、この挿話はどこかうさんくさい。それこそ、聖書作家の男性至上主義が読み取れる。そもそも、2000年前前後に形成された世界宗教は、おしなべて男性中心型で女性をその教義の周辺に置いた。仏教も同じ。釈迦自身が、最初、教団を作るときに女性の参加に難渋を示したと言われている。イスラムも同じ。でも、実のところ、そのような世界宗教の創設者達は、本能的に、男性の方が実は人間の社会において周縁的な存在であるという事実に気づいていたのではないだろうか。自己完結している女性の共同体の中で、男の占める位置が、ただ精液を提供し、その代償として生産の譲与物を消費し、蕩尽するだけの周縁的な存在でしかないということに彼らは気づいていたのかもしれない。だからこそ、彼らは、男性だけの結社を形成し、これを母体に世界宗教を発展させた。それは、女性原理に対抗するための男性結社の運動だったような気がしなくもない。
でも、その運動の賞味期限は、今や切れつつあるようだ。全世界を覆っているスピリチャリティの流れは、明らかに女性原理が優越したものだ。そこでは、男性原理に特有の禁欲主義や一神教的な世界観ではなく、より多様で豊饒で自然との調和が志向されている。僕たちは、今、宗教史上の大きな転換点にいるのかもしれない。
なんだか、キキ・スミスとはちょっと外れてしまいましたが、いずれにせよ、良い展覧会なので、休日にぶらっとブルックリンを訪ねることをお勧めします。


展覧会ポスターより