スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
ユングの「レッドブック」:象徴、神話、救済
2010年3月24日水曜日
もう終わってしまった展覧会だけど、マンハッタンのルビン美術館で、ユングの「レッドブック」をテーマにした展覧会が開催されていたので紹介しておきます。
1914年、ユングは不思議な夢を見る。窓の外におびただしい血と死体が散乱しているというグロテスクな夢である。最初、ユングは、それを個人的な夢だと考える。当時、ユングは、それまで行動を共にしてきたフロイトと、精神分析の方向性を巡って対立していた。ユングにとって、フロイトは、無意識という領域を初めて分析の俎上にのせた偉大な先駆者だったが、彼の分析があまりにもセックスにまつわるコンプレックスに重きを置きすぎている点に反発を感じていた。ユングにとって、人間の無意識はもっと豊かで肯定的なものであった。人間は、無意識を通じてより普遍的で集合的なものにいたることができるのではないかというのがユングの考えだった。また、ユングは、東洋の神秘思想にも関心を持ち始めており、中国の易やインドのヨガに傾倒しつつあった。こうした東洋思想に触れることによって、ユングは、世界の神秘に眼を開きつつあった。有名なエピソードがある。ユングとフロイトが共に部屋でくつろいでいるとき、隣室で大きな音がする。しかし、確認しても、隣室には何もない。ユングは、この現象に重要な意味を感じ、これを分析しようとするが、フロイトは、ユングのそのような態度を非科学的なものと断じ、逆に、師であるフロイトの前でそのような非科学的な態度を取ろうとするユングをエディプス・コンプレックスの観点から分析しようとする。ユングは、この事件を契機に、フロイトから決定的に決別し、彼独自の精神分析の世界を追求していくことになる。
このように、フロイトとの精神的な対立が表面化しつつあった時期に見た夢だから、ユングが、最初、これを個人的な不安や鬱積が夢として表面化したと判断しても仕方がなかっただろう。しかし、ユングがこの夢を見た後、第一次世界大戦が始まる。欧州は、歴史上初めて、プロの軍隊同士ではなく、国民から徴兵された兵士達による総力戦を戦い、甚大な被害を被ることになる。第一次世界大戦は、文字どおり、人類史上初めての「世界大戦」として、機械化された兵器による、市民も含めた大量殺戮が行われた戦争であった。それを、ユングは、夢を通じて予見していたのである。
この経験に深い印象を受けたユングは、それから断続的に1930年までの16年間、「レッドブック」を執筆することになる。その内容は、古今東西の宗教や神話に題材を得ながら、人間の無意識世界をどのように捉えることかを探求したものである。中世の手書き聖書にも似た体裁のこの書物は、テキストも挿画もすべてユングが自ら執筆した。ユングは、その内容が、一般の人間の眼にはあまりにも非合理に映るのではないかと心配した。人によっては、「レッドブック」の内容を読んで、ユングが狂気に陥ったと判断するかもしれないことをユングは怖れた。このため、ユングは、レッドブックを家族とごく一部の親しい友人にしか見せず、また、遺言で、死後、50年間にわたり本の公開を禁じた。今回の展覧会は、ユングの死後、50年が経過し、ようやく「レッドブック」が豪華本として公刊されたのを機会に、ルビン美術館が、出版された本と、幾つかの原画を展示するという企画である。
こういう曰く付きの本だから、かなり過激な内容を期待したけれど、実際はそうでもない。でも、もちろん、それはユング心理学が彼の死後半世紀にわたって一般に受け入れられた結果、我々が「レッドブック」の過激な世界観を受け入れる準備が出来たからだろう。これに加えて、60年代のカウンターカルチャーと、それに続く70年代以降のニューエイジの影響を加えても良いかもしれない。21世紀に生きる我々は、20世紀半ばの科学合理主義全盛の時代に比べると、圧倒的に神話や宗教、そして無意識の領域に対する理解を深め、感性を培ってきたのだ。
とりあえず、ユングの挿絵を追ってみる。最初は、神話世界における英雄の物語が断片的に記されている。宇宙樹を伝って天上世界に至り、逆に地中深くに潜って世界の深層に潜む蛇を退治する。時に、危機にあった際には、老賢人の教えに耳を傾ける。明らかに聖書から題材を得たものもあれば、マハーバラータのようなインド神話やギリシャ・ローマの神話に準拠したと思われるものもある。おそらく、ユングは、夢や幻視の中に現れるイメージをたどりながら、それを神話世界の物語を通じて具体的なイメージに翻案して、これらの挿絵を描いていったのだろう。「宇宙樹」「大地母」「老賢人」「トリックスター」など、後にユング心理学のアーキタイプとして重要な役割を果たすイメージがこれらの挿絵に現れている。
興味深いのは、こうした神話的な物語イメージが、ある時期を境に消え、その代わりに抽象的なイメージが現れてくることである。抽象的、と言っても、ピタゴラス的な数学世界ではなく、むしろ、有機的なイメージに近い。樹木のようなイメージもあれば、海藻や単細胞生物のようなイメージも現れてくる。あるいは、地中から多数の胞子がわき出てくるイメージ。生命の原初的な形態がユングの関心を惹いたようだ。
このような有機的なイメージの探求を経て、ユングは、マンダラのイメージに取り組んでいくことになる。周知のように、ユングは、後期に入り、東洋哲学への傾倒をますます深め、仏教やヒンドゥー教、道教などの経典を読みあさる。そして、彼は、マンダラのイメージに人格の完成を見いだし、これに向けて自己の無意識を導いていくことをユング心理学の目標に掲げることになる。そのような作業を行っていくにおいて、この「レッドブック」に描かれたマンダラのイメージは、重要な役割を果たしただろうと思われる。
興味深いのは、ユングが描くマンダラは、仏教やヒンドゥー教で描かれる図像化され定型化されたマンダラと異なり、それ以前に彼が描いていた有機的なイメージの痕跡が残されていることである。おそらく、ユングは、仏教やヒンドゥー教の様々な文献を読みあさり、マンダラの図像についての理解を深めながらも、レッドブックに彼なりの独自のマンダラを描く際には、そのような既存のマンダラ像を離れて、自身の幻視や夢に生成されるイメージに基づいて描いていたのではないだろうか。僕は、その点に、ユングの偉大さを感じる。
マンダラとは何だろうか。それは、仏教またはヒンドゥー教の世界観を表したものである。同時に、マンダラは、修行の際には、これを前に置き、そのイメージをヴィジュアライズしながら瞑想を行うという宗教実践のツールでもある。このため、マンダラは、仏教やヒンドゥー教のシステムの中で制度化され、定型化されている。もちろん、教派ごとに様々なヴァリエーションがあるけれど、それは、それぞれの教派の教理をマンダラの中に翻案しただけに過ぎない。マンダラは、実践者が、宗教実践で得たビジョンを図像化し、共有しようとした当初の原初的な姿を失い、宗教システムの中で制度化されてしまったという意味で、仏教やヒンドゥー教におけるマンダラのイメージは、それが生成された時の力を失い、形骸化されているのかもしれない。
これに比べると、ユングのマンダラは、彼自身の深層意識に発生する原初的なイメージに依拠している点で、もしかしたらより原初的なマンダラに近いのではないかという印象がある。修行者が、様々な観想修行を積み重ねていく中で、心中に現れてくるイメージを画像化し、それを共有することで、現在、我々が見る制度化されたマンダラ像ができあがったとすると、ユングのマンダラは、そのように制度化される前の、修行者達が、試行錯誤を繰り返しながら、漠然と共通理解を形成しつつあった原初期のマンダラを思わせる。僕は実際にそういうマンダラを見たことがあるわけではないけれど、ユングのマンダラを見ていると、もしかしたら、原初期のマンダラはこんなものだったのではないかと思わせる。特に、ユングのマンダラに痕跡として残っている有機体のイメージがこれを物語っていると言えるだろう。なぜかというと、マンダラとは、もともと、そのような多様な有機体や生物が、それぞれ生の営みを行っているという事実を前提にしつつ、時に悪や暴力やセックスも含まれるすべての生の営みの総体に、ある秩序を見いだし、そしてこれを総合的かつ肯定的に捉えようとするイメージだからである。
実際、修行を進めていくと、ある段階で、人は、生命や人体に対する感覚が変容するのを経験するはずである。言葉でうまく言い表すことは難しいけれど、例えば、自分の身体に対する感覚が決定的に変容する。自分の身体は、「私」という一つの統合的な存在ではなく、無数の細胞やウィルスや菌類の共生体であり、それぞれが独自の生を営みつつ、全体として自分という存在が機能しているという感覚である。これは、仏教の教義の知的な「理解」や「解釈」ではなく、明確に、実体験としての「感覚」であり「実感」である。そして、その感覚は、自分という存在の枠を超えて「世界」に対して開かれ、拡大し、そして世界を包摂しようとする。修行が進めば、そのような感覚は、ヒンドゥー教が目指す「アートマンとブラフマンの一体化」に至るのだろう。
ユングが、このような感覚を実際に経験したかどうかはもちろん分からない。でも、彼の「レッドブック」に描かれた挿絵の変容を丹念に追っていくとき、僕は、16年の歳月を通じてユングが無意識の世界を探求していった結果、我々、東洋の宗教的実践が目指そうとしている道と同じ道を辿ったのではないかと考えたい誘惑に駆られてしまう。もちろん、ユングは、西欧思想の枠の中で思考した人間である。無意識の世界を探求し、そこの人類の集合意識やマンダラによる人格的完成を理論化したとしても、彼の心理学の大系には限界がある。そこには、東洋宗教が目指そうとする意味の領域を超えた超越性の世界は周到に排斥され、あるいは囲い込まれている。しかし、もしかしたら、ユングは、西欧世界に生きる知識人として、意味と合理性の世界からの跳躍を禁欲しながらも、「レッドブック」において、密かにその超越的世界との交通を試みていたのかもしれない。
ユングの「レッドブック」は、日本でも販売されている。限定販売だし、一冊3万円ぐらいするから僕にはとても手が届かないけれど、興味がある人は買ってみてください。ちなみに、展覧会の会場の様子と、ユングのレッドブックの内容の一部は、ルビン美術館のウェブサイトで見ることが出来ます。
追記:
その後、レッドブックは、「赤の書」として、創元社から日本語訳が出たようです。ご関心がある方は、以下のサイトで購入できます。
http://www.amazon.co.jp/赤の書-―-“Red-Book”-C・G・ユング/dp/4422114360
でも、やっぱり高いですよね。欲しいけど。。。。
ユングのレッドブック。手描きのテキストと、ユングが自ら描いたシンボリックな図像を豪華な体裁の本で楽しむことが出来る。