スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
メトロポリタン美術館のフランシス・ベーコン展とニュー・アメリカン・ウィング
2009年6月6日土曜日
久しぶりにメトロポリタン美術館に行く。お目当ては、フランシス・ベーコン展とようやく完成したアメリカン・ウィングを観るため。
まずは、フランシス・ベーコン展から。フランシス・ベーコンについては、多分、説明する必要がないと思いますが、英国を代表するモダン・アートの巨匠の一人で、徹底的に人間を「肉」として扱った作品で知られる。僕は、あまり彼のグロテスクな描き方は好きではないけれど、確かに、独自の世界を切り開いた点では評価できる人だと思う。それと、彼の奇妙にデフォルメされ、焦点をぼかされたような不思議な肖像画は、後にマレーナ・デュマスやゲルハルト・リヒターにも影響を及ぼしているという点で、絵画史的にも興味深い作家である。
フランシス・ベーコン「自画像を含む肖像画のための3枚の習作」
フランシス・ベーコンは、徹底的な無神論者だった。彼は、あらゆる信仰を拒否し、現世的な快楽に生きた。彼は、スペインの旅先で死ぬのだが、それも、医師が命に危険があるからゆっくりホテルで休養するようにと指示したにもかかわらず、これを無視して街に遊びに繰り出して倒れ、そのまま亡くなったとのこと。快楽主義もここまで徹底しているとすごいと思う。そんな彼も、死についてはいろいろと考えるところがあったらしい。彼は、生涯、ゲイで通した人だが、愛人の一人が薬で急死したときには、かなりショックを受けたようで、その後の一連の作品には、死の香りが濃厚な一連の作品を残している。
でも、今回の僕にとって発見だったのは、彼の作品制作の方法。彼は、肖像画を描く際にも、決して、モデルと向き合わず、常に写真を使用したそうだ。彼の作品制作のために、専属のカメラマンが雇われ、このカメラマンがフランシス・ベーコンの指示に従って、モデルにいろいろなポーズを取らせて写真を撮り、この写真を見ながら、フランシス・ベーコンが作品を制作したらしい。これは、彼の作品を理解する上では、なかなか示唆的だと思う。なぜ、ベーコンは、モデルと向き合わなかったのだろうか。彼自身の説明によれば、モデルがいると、彼独特のデフォルメが自由に出来ないから、ということらしいが、どうも、僕にはもっと深い理由があるような気がする。
よくわからないけれど、フランシス・ベーコンという人は、人間という生物が持つ肉体性に根本的な嫌悪感を感じていたのではないだろうか。スタジオにモデルがいれば、もちろん、画家は、そのモデルの存在と向き合わなければならない。人間である以上、体臭があり、気を発しているだろう。そういうことが、もしかしたたらフランシス・ベーコンは嫌いだったのではないだろうか。だとすると、彼の、グロテスクな作品も理解できるような気がする。彼は、人間という肉体的な存在への生物的な嫌悪をそのままキャンバス上に表現したのだ。だから、彼が描く人間は誰も異様に変形され、グロテスクな肉の塊として表現されているのだろう。それはまさしく、彼のコンプレックスをそのまま表しているのだと思う。
でも、だからこそ、僕は彼の作品にある種の抽象性を感じてしまう。観念は、いかにそれが強烈であったとしても観念でしかなく、観念を描いた作品は、所詮、観念的なものでしかない。このトートロジーを抜け出すのは実はとても難しい。ベーコンは、このトートロジーを抜け出すために、よりグロテスクな方向へ、よりデフォルメの方向へと向かったのかもしれないが、観念の呪縛を表現の強度だけで解消することは出来ない。そこには何らかの質的飛躍が必要なのだ。ベーコンの快楽主義は、このようなジレンマからの自己逃避の試みだったのだろうか。
フランシス・ベーコン作「ヴェラスケスによるイノセント教皇10世の肖像画にちなんだ習作」
次に、アメリカン・ウィングへ。長らく工事をしていたので存在すら忘れられていた空間だけど、ようやく完成し、とても開放的な空間になった。カフェもあり、結構くつろぐには良い場所だと思う。展示は、主に、アメリカの家具やインテリア。部屋を丸ごと展示するという贅沢な空間である。僕は、貧乏性で、あまりインテリアに興味がないから、ぶらっと一回りしただけど、フランク・ロイド・ライトの部屋が印象に残った。やはり、ライトのデザイン感覚は素晴らしい。何か、リズム感が感じられるのである。こういう部屋に住んでみたいものだ。
フランク・ロイド・ライトの部屋
余談だけど、世界トップクラスのコレクションを誇るメトロポリタン美術館であるが、アメリカの近代美術のコレクションについては、どうもやる気が感じられないのである。アメリカの美術館なんだから、もう少しまじめにコレクションして欲しいし、コレクションする以上はきちんと展示して欲しいと思う。以前のアメリカン・ウィングを訪れたことがある人は記憶しているかもしれないけれど、アメリカ近代絵画の展示は悲惨なものだった。日光がまともに当たって、室温が異常に高い、屋根裏部屋のような空間に、アメリカ近代美術のコレクションが無造作に展示されているというひどいものだった。今回、新しくアメリカン・ウィングが出来たから、この状況は少しは改善されるかと期待したのだけれど、どうやら、状況はあまり改善されなかったようだ。
アメリカン・ウィングの工事中、アメリカの近代絵画は、狭い通路の両側にガラスのしきりに覆われる形で展示されていた。僕は、これは暫定的な措置で、アメリカン・ウィングが完成したら、きっと、きちんと空調と光の調整ができる部屋でまともに観ることが出来るようになると期待していたのだけれど、結局、メトロポリタン美術館はこの状態を続けるつもりらしい。コレクションには、ホイッスラー、サージェントから始まって、カサット、プレンダガスト、ライダー・・・・と結構有名な作品があるので、もう少しまともな展示を考えて欲しいと思う。アメリカの美術館である以上、絵画史におけるアメリカ近代美術の意義を評価し、これを国際的に発信していくのは必要なことではないだろうか。
アメリカン・ウィングの絵画展示スペース。倉庫みたいですよね。これでは、まともに鑑賞できません。何とかして欲しい!
ライダーの作品。幻想的な画風で、アメリカのコンテンポラリー・アートの展開に決定的な影響を与えた。
新しく生まれ変わったアメリカン・ウィングの開放的な空間