スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
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4人の女性印象派画家:ジェンダー・ポリティックスと新たな美学
2008年7月10日木曜日
サンフランシスコでもう一つ、印象に残った展覧会のことを書いておきたい。
サンフランシスコのダウンタウンからバスを乗り継いだ岬の上、はるか太平洋を見下ろして、Legion of Honorという美術館が建っている。ローマ建築風の壮大な門と中庭があり、中庭にはルーブルを模した小さなピラミッドまである。コレクションも、充実している。そこで、「女性印象派画家:ベルト・モリゾ、メアリー・カサット、エヴァ・ゴンザレス、マリー・ブラックモンド」という展覧会を開催していた。あまり関心はなかったのだけど、観てみると、とても良い展覧会だった。
印象派は、従来のサロンに異を唱えた画家達が、サロンから独立して新たなムーブメントを起こしたものである。彼らは、戸外の繊細な光を捉えるために、独特の分割したタッチを考案した。マネ、モネ、ドガ、ゴッホ、スーラ、ゴーギャン、ピサロ・・・、絵が好きな人なら誰でも一度ははまる有名な画家達である。その印象派のムーブメントに参加し、印象派の技法で絵を描いた女性達がいた。彼女らは、どのような存在だったのだろうか?女性であるということが、彼らの作品にどのような影響を与えたのだろうか?逆に言えば、女性であることを通じて彼女らはどのような新しい要素を印象派に付け加えたのだろうか?これが、この展覧会の主題である。
これらの疑問に対する展覧会の回答は明快である。女流画家は、男性の画家と異なり、気楽に一人で外出できるわけではなかった。職業画家として認められていたとしても、彼女は男性の印象派画家達が通ったようなカフェに自由に出入りすることは出来なかったし、キャバレーに通うことも出来なかった。このため、彼女らが描く対象は、必然的に、彼女らが閉じこめられた家庭内の風景ーーー子育て、読書、サロンでのお茶会、沐浴、着替え、家族との会食・・・が絵の主題となった。それは、印象派という新しい技法を使いつつ、同時に西洋絵画に新しい主題をもたらした・・・・。
メアリー・カサット作「眠たげな子供の身体を洗おうとする母親」。育児は、女性印象派画家にとって重要な主題であった。
確かに、そこに集められた作品には、そのような主題が多い。それは、男性達が戸外の風景や、カフェ、競馬場、劇場、キャバレーなどを描いたのと対照的に、家庭内を主題としている。でも、それだけではない。例えば、女性が水浴したり髪を洗ったりしている光景であったとしても、男性の画家が描くとそれはどうしても欲望の対象として描いてしまう。それに対して、女性が、同性、特に自分の肉親の妹や娘をモデルに描いた作品は、そのような欲望の対象ではなく、もっと親密な空間を描き出している。印象派の同じ技法を使っていても、絵が与える印象は異なる。
このようにして、女性印象派画家達は、自分たちに課せられた抑圧を逆に活用して、新たな絵画の主題を開拓していった。しかし、それだけではない。彼女らは、自分たちが置かれた不平等な立場に異を唱え、積極的に女性画家の社会的地位の向上を求めていく。そもそも、彼女らは、両親の許可を得なければ絵画の訓練を受けることが出来ず、また、成人後も絵画の訓練を続けるために、有名な画家のモデルの役割を進んで引き受けなければならなかった。彼らは何重にも従属し、抑圧された存在だったのだ。
例えば、プロの画家としての訓練を受け、アメリカ人画家として唯一、印象派の展覧会に作品を出品し、生涯、独身を通したメアリー・カサットは、積極的に女性の地位向上を訴えた。彼女は、シカゴで開催された世界コロンビアン博覧会で壁画を制作する。タイトルは、「モダン・ウーマン」。残念ながら、オリジナルは博覧会の終了と同時に破壊されてしまったが、残されたスケッチでは、力強く女性の自立が描かれている。彼女の次のような言葉が残されている。「女性は、何かではなく、何者かにならなければならない。」。このようにして彼女らは自分たちの道を切り開いていった。
メアリー・カサット作「水浴する女性」。女性の日常を細やかに描いた作品。
もちろん、4人の画家をこのように一括してしまうことは、彼女らの個性を捨象してしまうことになるだろう。彼女らは、印象派という方法論を共有し、互いに交友関係を保ってはいたけれど、それぞれが独自の世界を探求していった。マネの弟子として、女性の親密な空間と強い意志を持った自画像を描き続けたモリゾ。アメリカ人として職業画家の訓練を受けながら、あえて印象派の運動に身を投じ、母と子という主題を探求したカセット。マネの影響を受けながら、独特のエロスの世界を探求したゴンザレス。
しかし、今回の展覧会の最大の発見は、おそらくマリー・ブラックモンドの作品をまとまってみることが出来たことだろう。ブラックモンドは他の三人と異なり、ブルジョアの恵まれた家庭ではなく、一般庶民の貧しい家庭に育った。彼女が生まれてまもなく父親が亡くなり、母親は再婚。彼女は、職業的な画家としての訓練を受けたことはなく、彼女が描いた絵のすばらしさに母親の親戚が買い与えてくれた画材で、独自に絵の技法を学んだという。彼女の才能は、アングル、ゴーギャン、シスレーなどに認められ、やがてサロンにも出品するようになる。その後、彼女は印象派のムーブメントに深い感銘を受け、積極的に印象派の技法を取り入れていくが、彼女の夫、版画家のフェリックス・ブラックモンドは、印象派に批判的で、彼女の画家としての活動に反対した。それでも彼女は作品を制作し、印象派の展覧会に出品するが、最終的には夫が勝利し、彼女は50歳で制作を打ち切る。その後、彼女が亡くなるまでの26年間、もしも彼女が作品を制作し続けていたとしたら、どんな傑作が生まれていただろうか。
彼女の作品は、単なるペン画であっても、あるいはモノクロの水彩画であっても、少ないタッチで対象の動きと色彩を鮮やかに捉えていて、素晴らしい才能を感じさせる。また、その主題や構図も独特で、画面いっぱいに多くの労働者達が傘を差している光景を捉えた作品など、本当に普通の画家では考えられない印象的な一瞬を捉える眼を持った人だった。ブログのトップにのせた「ランプの下」という作品は、夫との食事の風景を描いたものだが、テーブルの上の料理から立ち上った湯気と溢れるばかりに広がる赤いランプの光を繊細に捉えた傑作である。また、下に掲載した「三人の淑女」では、スーラの点描とルノアールの流れるようなタッチを微妙に組み合わせ、陽光の下の女性達の一瞬の表情をあざやかに切り取って、独自の世界を築いている。
これだけの才能を持っていたにもかかわらず、ブラックモンドが、女性であり妻である立場のために制作をあきらめざるを得なかったのは、たぶん、絵画史にとっても大きな損失だろう。しかし、同時に、彼女らの努力と挫折を通じて、20世紀に入り、女性の画家達がどんどん登場し、新たな作品世界が形成されていくことになる。このようにして、アートは豊かになってきたのだ。
マリー・ブラックモンド作「三人の淑女」。溢れるような色彩と独特のタッチにより、三人の女性の一瞬の表情を鮮やかに切り取った傑作。
Marie Bracquemondの「ランプの下で」。食卓の繊細な光を捉えた傑作