スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
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バックミンスター・フラー:「宇宙船地球号」という理想と謎の日本人
2008年6月29日日曜日
ホィットニー美術館で「BUCKMINSTER FULLER: Starting with the Universe」展をやっているので観に行く。
バックミンスター・フラーは、1895年にマサチューセッツ州に生まれた。日本で言えば、明治27年生まれだから、僕たちの感覚で言うと昔の人だ。でも、その天才的想像力は、たぶん20世紀を突き抜けて21世紀の終わりにまで及ぶほどの大きな射程を持っている。その先駆性は、本当に驚くべきものだと思う。
例えば、彼は、まだコンピュータが実用化されていない時代に、階層型ではなく分散的で、各データがそれぞれのキーワードによって複雑に参照しあうというデータベースを考えた。インターネットが登場し、グーグルの検索によって、あらゆる情報を瞬時に特定のキーワードによって呼び出し、これを一つの系列にまとめていくことが出来るようになった現代では、その発想は、ごくごく常識的なものだけれど、これをまだ階層型のデータベースが登場する前に考えていたというのはすごい。何しろ、このデータベースを、コンピューターではなく、紙のファイルで構築しようというのだ。多分、当時の人は、彼の考えを聞いても全く理解できなかったのではないだろうか。
バックミンスター・フラーの出発点は、Dymaxionというコンセプトにある。DynamicとMaximumを結合したこの概念は、彼が考案した正四面体をユニットとする構造設計をベースにしたものだ。バックミンスター・フラーは、この正四面体が、最も強度が強くまた最も効率的な構造であると考え、これを基礎に様々な建築物を提案する。住居、自動車、集合住宅、展示パビリオン・・・・。複雑な構造計算を易々とこなしつつ、バックミンスター・フラーは、正四面体を基礎とする建築物や機械を次々にデザインし、これにDymaxionというブランドをつける。
バックミンスター・フラーのすごいところは、このDynamixionを一つの社会的原理にまで拡張しようとしたところにある。Dymaxionは、もっとも効率的で強度の高い構造である。これを使えば、最小限の資源を使って最大限の効果を上げることが出来る。バックミンスター・フラーは、Dymaxionを活用した新たな社会モデルを導入することで、資源を浪費し環境に負荷のかかる社会から、より環境に適合的で持続的な社会へと移行できると考えた。ポスト京都議定書の、地球温暖化を巡る議論が高まっている現代では、「持続可能性=Sustainability」という概念は、一般に受け入れられている。しかし、冷戦のさなか、東西両陣営が、産業の発展にしのぎを削り、石炭や石油を大量に消費して物質文明の高度化を追求していた時代に、そのような概念を提唱したことは、画期的だと思う。
その後、バックミンスター・フラーは、地球の環境は有限であり、人類はそのことを自覚して、有限な資源を持続可能な形で活用していくためには、「宇宙船地球号」という発想が必要だと説くようになる。地球は無限ではなく、有限であり、私たちはその地球という宇宙船に乗って旅をしているのだ、という発想。これは、ともすると、国家や企業の利益を守るために、地球全体の環境保護をおろそかにしてしまっている、現代の国際社会において、ますます有効な概念だと思う。
ホイットニー美術館の展示は、バックミンスター・フラーが設計した建物や自動車の模型や設計図、あるいは彼の考案したWorld Game(資源の有限性を前提とした上で、これを最も効率的に消費していくためにはどうすればよいかを学ぶことが出来るゲーム)などをバックミンスター・フラーの思考の軌跡をたどるように展示している。模型と設計図だけを見ても、その発想の豊かさに圧倒される。なかなか良くできた展示である。
バックミンスター・フラーの似顔絵。ただし、ここに描かれている建物も、自動車も、すべて彼のDymaxionの原理に基づいて設計されたもの。
個人的には、バックミンスター・フラーが、Sadao Shojiという日本人と一緒に考案したドーム都市や空中浮遊体がとても面白かった。(Sadao Shojiという人は、ニューヨークで活躍した建築家でイサム・ノグチとも協同作業をしていたようです。詳しくは、http://www.noguchi.org/sadao.htmlを見てみてください!)
ドーム都市は、例えば、マンハッタンの約3分の1を覆う巨大な透明ドームを建設し、その中に都市機能を集約することで、ドーム内のエネルギー効率を最大化しようという試みだ。確かに、これだけ巨大なドームが都市を覆えば、暖房の必要は全くなくなる。熱排気の問題はあるけれど、そのエネルギーの再利用方法さえクリアすれば、結構持続可能な都市モデルになりそうな気がする。バックミンスター・フラーは、このドームを導入してエネルギー効率を高めれば、その経費の節約によって、10数年でドームの建設費用を回収することが出来るとしている。未来学者の面目躍如と言うところだろう。
ちなみに、もちろん、このドームは実現しなかったのだが、バックミンスター・フラーは、ドームのプロトタイプとして、日本の読売ランドにこのドームを建設することを提案し、設計図まで書いている。もしも読売ランドにこれが出来ていれば、もしかすると、地球温暖化が真剣に議論されている21世紀において、最も先駆的な都市モデルとして脚光を浴びていたかもしれない。
(余談だけど、読売ランドには、なんと日本で唯一の仏舎利がある。仏舎利というのは、お釈迦様の骨を収めたものである。読売ランドと言うところは、かくも不思議なところである。一度、じっくり探求してみる価値がありそうだ。。。。)
もう一つ、面白かったのは、巨大な浮遊構造体のアイディア。要は、風船なんだけど、半マイルの半径を持つ本当に大きな風船であるという点がポイント。容積を大きくすれば、爆発性の気体でなくても空中に浮かぶ構造体を作ることが出来るという発想である。で、これをどう使うのか、というと、そこに居住施設を作って、数千人を住まわせようという壮大な構想。これが可能であれば、土地問題は解決だけど、やっぱり安全性の面からは少し不安かも。。。。でも、そんな巨大な風船が、気流に乗って大気中を浮遊し続けるというイメージは、とても楽しくて、想像力を刺激する。こういう作業を、バックミンスター・フラーが日本人との協働で行っていたと言うことも、楽しい発見の一つだった。
ちなみに、バックミンスター・フラーは、1948年、北カリフォルニアのブラック・マウンテン・カレッジで講義をするために長期間滞在する。このカレッジは、アートと科学を一体的に研究する場所として考案され、当時の米国の一流の科学者と芸術家が集まっていたらしい。バックミンスター・フラーは、ここで、振り付け家のマーサ・カニングハムや、画家のデ・クーニン夫妻、アルバース夫妻、作曲家のジョン・ケージなどと知り合いになる。展覧会では、バックミンスター・フラーがマーサ・カニングハムに振り付けられて踊っている写真が展示されていた。
第二次世界大戦直後の米国は、ナチス・ドイツから亡命した知識人や芸術家が大きなコミュニティを作り、かつ世界中で唯一戦災を免れた先進国として、ついに世界のトップに躍り出た。その若々しいまでの理想主義が、こういう科学と芸術の融合という発想を生み出したのだろう。この時代に新しく生まれた抽象表現主義の絵画にしろ、マーサ・カミングハムのダンスにせよ、そこには、従来の西欧社会が培ってきた文化的伝統の束縛を逃れ、人間の身体や意識、あるいはネイティブ・アメリカンやアフリカのような文明化以前の社会が持つ表現に立ち戻って、そこから新しい何かを生み出そうという意気込みが感じられる。真に前衛精神溢れるムーブメントが、様々なジャンルで動き出した時代だ。そう言う人たちとバックミンスター・フラーが長期にわたって同じキャンパス内で生活を共にしたことは、バックミンスター・フラーの発想にとても大きな刺激を与えたに違いない。たぶん、バックミンスター・フラーもまた、他のアーチスト同様に、根源に立ち返って思考するという発想を身につけたことだと思う。それは、人類が新たな知性を獲得しようとする息吹のようなものだったのかもしれない。(それにしても、ここでもまたジョン・ケージの名前が登場してしまった。以前のブログでもジョン・ケージに触れたけど、やっぱり一度きちんとケージについてはまとめて調べる必要がありそうだ。)
最後に、バックミンスター・フラーが1968年に書いた「宇宙船地球号操縦マニュアル」から、彼自身の言葉を引用しておこう。限られた資源を有効に使い、持続可能な国際社会を作らなければ人類の未来に希望はない、米ソが対立したり、南北が支配・従属の関係を固定化させてはならない、という議論を展開した後で、彼は次のように記している。
「世界で対立する政治家達やイデオロギー・ドグマの危険な袋小路が加速度的に増えつつある今、一体どうやってこれを解決したらいいのか・・・・・(中略)。そう、だからイニシャチブを取るのは計画家(プランナー)であり、建築家であり、技術者なのだ。仕事に取りかかって欲しい。とりわけ協同作業をして、互いに抑制しあったり、他人の犠牲で得をしようなどとはしないで欲しい。そんな偏った成功は、ますます先の短いものになるだろう。これこそ、進化が自ら用い、私たちに明らかにしようとしているシナジーのルールなのだ。これは人間が作った法ではない。宇宙を司る知性の完全さが生み出した、限りなくも協調的な法なのである。」
プランナーとして徹底的に技術に即した発想を展開させたバックミンスター・フラーが、最後にふと筆を滑らせて「宇宙を司る知性」に言及してしまう。バックミンスター・フラーのような巨大な知性をもってしても、地球全体をうまく操縦することは出来ない。しかし、個々の技術者の協同作業がシナジーを生み出していくことで、人類は、宇宙船地球号をうまく操縦することが出来るようになるだろう。根拠は?、と聞かれれば、それは、「宇宙を司る知性」がそのように望んでいるからというしかない。インターネットが導入され、スーパーコンピューターが開発された現代、バックミンスター・フラーが夢見たシナジーは現実のものとなりつつある。科学的思考を突き抜けて「宇宙を司る知性」を見据えた人。バックミンスター・フラーの偉大さは、実はそこにあるのかもしれない。
マンハッタンに巨大なドームを作るという構想のスケッチ。発想の壮大さに感動してしまう。