スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
PHILIP GUSTON:抽象と即興、無碍自在で軽やかな境地
2008年6月23日月曜日
抽象画家は、どこか修道僧に似ている。ルノアールのようにひたすら豊満な裸体を表情豊かに描くのでもなく、あるいはロートレックのようにカフェに集う人たちの一瞬の表情を色彩豊かに描くのでもなく、抽象画家は、ひたすら色彩と形態をその抽象性において追求する。彼らにとっては、キャンバスの上がすべてであり、その向こうにある現実は創作と関わりがない。ただ、キャンバスの上に展開される色彩と形態だけがすべてである。それは、現実を捨象し、何か大いなる意志が顕現する瞬間に向かってキャンバスと自己を組織していくような禁欲的な営みであるように見える。
そういう画家の中でも、フィリップ・ガストンは異色の作家である。カリフォルニアに生まれ、米国中を放浪した末にニューヨークに居を構えることになったこの作家は、当初、メキシコの壁画運動に強い影響を受け、社会的なメッセージ性の強い作品を制作する。しかし、ジャクソン・ポラックと同窓だったと言うこともあり、ニューヨークに来てから、彼は抽象表現主義に身を投じることになる。彼の作品は、ドローイングもペインティングも、抽象でありながら、豊かな空間の広がりと奥行き、色彩のバランス、造型の確実な構成力によって、とても表現力豊かな世界を作り出している。
今回、モーガン・ライブラリ・ミュージアムで開催された「Philip Guston:Works on Paper」展は、ドローイングを中心とした包括的な回顧展であり、フィリップ・ガストンの魅力を再認識することが出来るとても良くできた展覧会である。展示は、まず抽象から始まる。例えば、以下の作品を見て欲しい。
モノクロで、単純に線が積み重ねられただけのように見えるけれど、そのタッチは微妙で、しかも線の積み重ねが、複雑な空間を形作っていく。それは、まるで空中に構築された都市のようにも見えるし、また、広大な大地に描かれた紋様のようにも見える。何よりも、そこに作り出された奥行きと広がりのある空間と、多様な線が醸し出す豊かな表情が、抽象を愛する者にとってとても心地よい。多分、彼が到達した抽象の世界は、二次元の平面に三次元の奥行きと四次元の広がりを導入した希有な例ではないかと思う。
ところが、彼は、そのような抽象を追求していった果てに、ある種の境地に到達してしまう。次の作品を見て欲しい。
紙の上に、ただ一つ、黒い点がぽつんと置かれているだけの作品。かつて、紙の上に単純な線を積み重ねて複雑で多様な抽象世界を作り上げた作家が、その追求の果てにたどり着いた作品がこれである。この作品を描いた頃、ガストンは、ペインティング作品の制作をすべて放棄し、ドローイングに専念していたという。ドローイングは、ペインティングとことなり、形態とタッチがすべてを決定してしまう。そう言う意味でごまかしのきかない世界にガストンは自らを追い込むことで抽象を極限まで追求していった。その成果がこの作品である。広い紙の上に、ぽつんと置かれた点。でも、その余白が多くのことを物語っているようにも見える。この作品を見て「バカにされた」と思う人がいるかもしれないけれど、僕は、ここに抽象の一つの到達点を見ても良いのではないかと思う。点があることによって、この余白が生き生きとした表情を持ち、その点と対話を始めるのだ。
そして、僕は、唐突に、禅僧のことを考える。禅僧もまた、ただひたすらに座禅をし、公案を考え抜いた末に、ある時、突然に悟りを開く。その境地はとてもシンプルでわかりやすいけれど、絶対的な明澄さをもったものだそうだ。そして、そのような悟りは、例えば、掛け軸にただ丸を描いたものとして表現される。ガストンの抽象画がこのようにシンプルな者になっていく過程を見ていると、僕は、そこに、つい、禅僧の悟りへの階梯を重ねてみたくなる。ガストンが、禅的な悟りを開いたかどうかは定かではないけれど、その作品を見ていると、ある世界を、その深みと複雑さにおいて徹底的に追求し尽くした者のみが到達できる、単純だけれども力強い境地を感じ取ることが出来るような気がする。
ガストンは、60年代に入り、それまでの抽象表現主義の作品から一転して、トップに掲載したような、カートゥンのタッチの絵を描き始める。それは、60年代の世相を反映して、人種差別主義者に対する批判や、ベトナム戦争への反対など、社会的メッセージ性の濃い作品である。メッセージ性という意味では、ガストンは、初期の作品に戻ったようにも見える。でも、その軽妙洒脱、自由闊達、そしてどこかユーモラスな作品を見ていると、再び、禅画を思い出してしまう。悟りを得た禅僧は、なにものにも捕らわれることなく、その悟りの境地の楽しさを表すために自由自在に絵を描く。白隠和尚の絵など、その最たるものだ。そして、僕は、どうしてもガストンのコミカルな作品に、この禅僧の自由自在な境地を重ねてみたくなるのだ。
クー・クラックス・クランを題材にしたガストンの作品。マンガのようなタッチは、「抽象表現主義の画家」ガストンの変節として様々な反響を巻き起こした。