スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
Hare Krishnas:60年代ニューヨークに出現したトランス集団
2008年12月7日日曜日
何気なくドキュメンタリー・チャンネルをつけたら、60年代にニューヨークでHare Krishnas運動を展開したBhaktivedanta Swami Prabhupadaの記録映像を放映していた。つい観てしまう。
Hare Krishunas運動というのは、インドのヒンドゥー教に起源を持つ。ヒンドゥーの神々の内、最も強力な神の一人であるヴィシュヌ神は、様々な変化神として現実世界に姿を現した。その第8番目の姿が、クリシュナである。クリシュナは、ヒンドゥーの神々の中でも最も人気のある神の一人で、クリシュナ神を信仰する者は、バクティ=絶対的な献身をモットーとし、ただひたすらにクリシュナにすべてを捧げることで解脱を図ろうとする。
バクティヴェーダンタは、大学を卒業し、実業界で成功した人物だが、このクリシュナ運動に身を投じて信仰世界に没入し、1965年、師の教えを受けて、単身、渡米し、ニューヨークでクリシュナの教えを布教し始める。その教えは単純で、ただ「ハレー・クリシュナ、ハレー・クリシュナ、クリシュナ。ハレー、ハレー。ハレー・ラーマ、ハレー・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレー、ハレー」というマントラを唱えながら、太鼓と鉦を叩き、踊り続けることで忘我の境地に達し、クリシュナと一体化することを目指すというものである。
ドキュメンタリーは、バクティヴェーダンタのアメリカでの記録映像を淡々と紡いでいく。60年代のアメリカはヒッピー運動が盛んな時代であった。何のつても持たず、お金もなく、ただ、マンハッタンの公園で「ハレー・クリシュナ・・・」と唱えながら太鼓と鉦を叩き続けるインド人を、ニューヨーカーは最初奇異の目で捉える。しかし、ヒッピー達はやがて彼の行動に関心を持つようになり、彼の教えに耳を傾けるようになる。全くゼロの状態から始まったハレー・クリシュナ運動は、このようにして数年も経たないうちに大きなムーブメントとなる。その陰には、例えば、ビートルズ解散後、インド音楽の世界を探求して独自の音楽世界を作ろうとしたジョージ・ハリスンの影響がある。彼も、ハレー・クリシュナ運動に参加し、ミュージシャンとしてその音楽に寄与した一人であった。
その後、バクティヴェーダンタは、ロサンゼルスに移り、そこでハレー・クリシュナ運動本部を設立。菜食主義と神への献身を中心とした教えにより、人々の救済のために活動を続け、77年に没することになる。
僕は、この30分に満たないドキュメンタリーを見ながら、不思議な感動に襲われた。僕が強い印象を受けたのは、宗教的なミッション意識が持つ強さである。全く何のコネクションも持たず、ほとんどお金もないにもかかわらず、どうしてバクティヴェーダンタはアメリカでの活動を決意できたのだろう。もちろん、師の教えがあり、アメリカで布教しなければと言う強い使命感があったことは確かだけれど、でも、普通の人間から見れば、そのような使命感は、ただのばかばかしい非現実な妄想に過ぎない。しかし、彼は、それを実践し、しかも、ハレー・クリシュナ運動を組織してしまった。僕は、シンプルに、その宗教的な使命感の強さに打たれる。人間は、何かを信じたときに、想像できない力を発揮する。「心は無限である。心の無限の力を信じよ。」まさにその通りだと思う。
僕自身は、このようなトランス系の宗教には関心がない。トランス体験は、おそらくなにものか超越的な存在に触れる貴重なものだろうし、そのような実践を通じてしか到達できないものが存在することを僕は認める。でも、僕は、僕自身のままで、超越的な存在との対話を試みたいのだ。どこかで僕という意識を捨てなければならないことは認めるにしても、それをトランスという形で実現してしまうことにある種の抵抗感を感じてしまう。あるいは、僕という意識が、トランスを介して自己を放棄することに抵抗していると言っても良いだろう。だから、僕は、チベット仏教の瞑想という方法を選んでいるわけだ。でも、それは、たぶん、個人の資質の問題でしかなく、ある人にとっては、バクティを通じて超越に至るという方法論が適している場合もあるだろう。実際、この運動は、例えば日本仏教における念仏運動にも通じているのだ。そう言う意味で、僕たちは、このようなトランスを求める運動をより普遍的な視野から捉える必要があるのかもしれない。
ちなみに、ハレー・クリシュナ運動に関心がある方は、彼らのウェブサイトをご覧になると良いと思う。より詳しい情報が得られる。
Hare Krishnas運動をニューヨークで展開したBhaktivedanta Swami Prabhupada氏