スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
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ピカソの豊饒:MOMAの版画コレクションはピカソの多様な側面を見せてくれる。
2010年6月18日金曜日
メトロポリタン美術館のピカソ展が話題を呼んでいるけれど、MOMAのピカソ版画コレクション「主題と変奏」展は、例によって、MOMAの版画セクションの底力を見せつける渋い展覧会である。ピカソの版画作品を通じてピカソが追求した多様な主題を改めて振り返り、同時に、そうした主題をピカソがさらに多様な手法で描いていく様を提示する。すべてが「ピカソ」でありながら、決してどの一枚も同じにはなり得ない。天才のみに許される「豊饒さ」に息をのむ。
ピカソは、すでに10代にして、古典的技法をほとんど完全にマスターする。彼の父親が画家だったけれど、息子の才能を目の当たりにして自分の画家としてのキャリアを断念したという。確かに、10代のピカソが残したデッサンを見ていると、その的確な描写力に驚かされる。世の中には、精密かつ正確に描ける画家はたくさんいる。でも、本当の天才は、一本の線ですべてを表現する。その一本の線がもたらす美と真理に対する揺るぎない確信、これは天才だけに許される特権だと言えるだろう。実際、生涯を通じてピカソの絵は、面も線もどんどんシンプルになり、抽象化していくにもかかわらず、その表現の美しさと的確さはどんどんその深度を増していくという不思議な人だった。
牛の連作。同じ主題を扱いながら、線も面もどんどんシンプルになっていく。しかも、すべてがピカソとしか言いようのない独特のスタイルを持つ。天才のみに許された特権だろう。
今回の展覧会は、こうしたピカソの作品世界を版画にしぼり、かつその主題の多様さを通じてみていこうという試みである。ピカソは、青の時代、ピンクの時代、古典の時代、キュビズムの時代、総合の時代を経て、ある種、完全に自由闊達な境地に達する。どんな絵を描いても、絶対にピカソ的としか言いようのない世界を作り上げる。そのような成熟に達した後で、彼は、様々な主題を追求していく。闘牛、ケンタウロス、舞台、女性、様々な動物、道化師・・・・。ピカソは、こうしたお気に入りの主題を、時に写実的に、時にキュビズム風に、あるいはシンプルの極めとも言うべき単純な線だけで表現してしまう。この時代のピカソは、多分、呼吸をするのと同じくらい、創作活動は自然で日常的なものだったのだろう。それは、豊饒としか言いようのない、エネルギーの迸りだったのだろう。
「闇夜のダンス、フクロウ」と題された作品。まるで洞窟壁画のような独特のタッチ。躍動的な画面構成がある種のリズムを形成している。
「盲目のケンタウロス」。ケンタウロスは、ピカソのアルターエゴであり、その主題は様々に変奏されていった。
「闘牛」。殴り書きのように見える荒々しい線が、画面全体に緊張と暴力を漲らせる。
ピカソはまた、情熱的な愛に生きた人だった。生涯に多くの女性を愛し、多くの子供を設けた。ここにもまた、ピカソの多産と豊饒が感じられる。たぶん、彼はポジティブなエネルギーが滾々とわき出て絶えることがない泉のような存在だったのだろう。女性達も、彼のエネルギーの迸りを敏感に感じ取ったに違いない。すれ違った瞬間に恋に落ち、その日のうちに一緒になってしまったマリー・テレジアのエピソードなど、これをよく現している。そしても、もちろん、ピカソは、そのような恋人達をモデルにした作品も多数遺している。それぞれの作品に、初々しいまでの愛情と情熱が感じられる。本当にピカソは不思議な人だった。
ということで、この展覧会は本当にお勧めです。ぜひご覧下さい。
「マリー・テレジアの顔」。妖しい魅力を湛えた人ですね。
「毛皮の襟付きコートを着たオルガ」。強い意志を感じさせる女性です。
「花嫁姿のジャクリーン」。
ピカソ作「ピカドール」。ピカソは、闘牛をこよなく愛し、多くの作品を残した。