スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
スピリチャルでアートな日々、時々読書 NY編
フリーダ・カーロ:パッションの人、普遍的なものへの回帰1
2008年7月4日金曜日
ちょっとニューヨークを離れて息抜きをしたくなったので、サンフランシスコに行く。もちろん、お目当ては、美術館巡り。それに、フィッシャーマンズ・ワーフでの新鮮な海の幸と少々のワイン。それさえあればあとは何もいらない。
サンフランシスコ近代美術館で、「フリーダ・カーロ:芸術家、イコン、革命」という展覧会をやっていた。実は、この展覧会、全米を巡廻していて、僕はDCとフィラデルフィアでもこの展覧会とも遭遇していたのだが、その時は時間がなくて観ることが出来なかった。3度目の正直と言うことで、飛び込む。すごい。フリーダ・カーロといえば、大江健三郎が、「人生の親戚」で彼女の人生を取り上げていたし、彼女の自画像はいろいろなところで観る機会があるから、こんな作家なんだろう・・・という漠然としたイメージを持っていたけれど、フリーダ・カーロは僕が持っていたそんなありきたりのイメージをはるかに超えたすごいイマジネーションとパワーを持った人だった。今回の特別展は、そういう圧倒的なイメージの画家、フリーダ・カーロを理解する上で、必要な主要作品が集められていて、とても良い展覧会だ。
フリーダ・カーロは、パッション=受難/情熱の人である。
受難は子供時代に遡る。6歳の時にポリオにかかり、右足の成長が止まる。彼女の右足は、左足に比べてとても細く、小さくなった。彼女は、これを気にして、大人になってからも出来る限り足を見せないよう、長いスカートをはくことになる。18歳の時、今度はバスに乗っていて交通事故に巻き込まれ、脊椎を損傷する。この事件の後、彼女は、終生、背中の痛みに悩まされ、コルセットをはめる日々が続くことになる。また、この怪我のために、彼女は胎児を支えることが出来なくなり、何度も流産をくりかえすことになる。22歳の時、20歳以上年上の画家ディエゴ・ディエゴと結婚。彼女は終生ディエゴを愛するが、ディエゴは、フリーダ以外の女性との情事が絶えず、彼女は、2度もディエゴと離婚することになる。ディエゴの情事の相手には、フリーダの妹も含まれており、彼女は精神的に深く傷つく。30代になって、彼女は、シュールレアリズムを主導したアンドレ・ブルトンに見いだされ、米国や欧州で個展が開かれるなど高く評価されることになるが、私生活ではディエゴとの離婚や流産、脊椎の痛みとこれを治療するための手術など、苦難の日々が絶えなかった。結局、彼女は、ポリオにやられた右足が悪化して46歳でこれを切断。さらに脊椎の痛みも加わり、47歳でその短い生涯を終えることになる。
ディエゴが、自分の妹と1年以上にわたり情事を続けていたことを知って絶望していた時期に描かれた作品。現実の事件に取材しているのだが、この絵には、彼女の深い絶望と怒りが感じられる。
普通に考えたら、これほどの苦しみを背負った彼女の人生は、不幸なものに見えるかもしれない。しかし、同時に彼女は、情熱の人であった。彼女は、何度も裏切られながらもディエゴを心から愛した。彼女の日記にこんな言葉が残されている。
ディエゴ。始まり。
ディエゴ。作る人。
ディエゴ。私の子供。
ディエゴ。私のお婿さん。
ディエゴ。画家。
ディエゴ。私の愛しい人。
ディエゴ。「私の夫」。
ディエゴ。友人。
ディエゴ。父。
ディエゴ。母。
ディエゴ。息子。
ディエゴ。私自身。
ディエゴ。すべて。
統一の中の多様。
どうして私は彼を私のディエゴと呼ぶのだろう。彼は一度も私のものではなかったし、これからも決して私のものにはならないのに。彼は、彼自身のもの。
美しく、情熱的な詩だと思う。フリーダ・カーロのような女性にこのような愛情を捧げられると言うことは、素晴らしいことだと思う。フリーダは、何度も裏切られながら、ディエゴ・リビエラを愛し続けた。彼女の情熱の深さは計り知れない。
フリーダは、2度の離婚を経て、再び婚姻関係を取り戻したとき、次のように宣言する。「自分は、ディエゴの金銭的支援も受けないし、夫婦の営みも解消する。この婚姻関係は、純粋に精神的なものだ。」と。そして、彼女自身も、ディエゴ以外の人間と関係を持つようになる。そこには、男性のみならず、女性も含まれていたようだ。彼女と関わりを持った人々の中で、最も有名な人間に、無政府主義者にして職業革命家であるトロッキーがいる。トロッキーは、メキシコ政府に受け入れられて滞在中、フリーダ達の家に滞在し、そこでフリーダとの関係を持った。トロッキーのような、大きな理想を抱え込んでしまった人間が持つ果てしないパワーを易々と受け入れてしまうフリーダ・カーロ。彼女もまた、大きな情熱を内に抱え込んだ人だったのだ。
フリーダが、トロッキーと別れる際に捧げた自画像。
このように「パッション=受難/情熱」に溢れた彼女の人生を、彼女自身はどのように感じていたのだろうか。彼女の日記の最後は、次のような言葉で締めくくられている。
「この人生から脱出することが喜ばしいものとなりますように。。。。二度と戻ってこないことを私は望みます。。。。フリーダ。」
死に臨んで、彼女は生きる気力を失ってしまったのかもしれない。この言葉は、人生に絶望した者が最後に残した言葉のようにも見える。確かに、それだけの苦しみを彼女は経験したと思う。でも、晩年の彼女の作品を見ていると、彼女の情熱は、そのような自身の苦難の経験を乗り越え、より普遍的で超越的なものに至ろうとしているように僕には感じられる。結局、そのような普遍的なものに到達しようという彼女の試みが成功したのかどうか、僕にはわからない。ただ、晩年の、壮大な神話的イマジネーションに満ちた作品を見た上で、もう一度、彼女の最後の言葉に戻ってみると、そこには、何かポジティブなもの、この世を越えてより大きなものに回帰していくことが出来るという希望を見いだすことも出来ると僕は思う。次に、彼女の神話的な作品を取り上げてみよう。
フリーダとディエゴ。
フリーダ・カーロの自画像。彼女は、膨大な数の自画像を残している。そこには、人生の苦しみ、自立への強い意志、愛する者への献身、生まれなかった子供へ哀惜など、人生の節目節目での経験が色濃く影を落としている。しかし、晩年にいたり、彼女は深い森を背景に様々な動物たちと一緒になった自画像を描き始める。それは、大自然との交感を通じて神々の世界に足を踏み入れようとしているようにも見える。彼女は、苦難を通じて、超越性に向かった人のように僕には感じられる。